【コートジボワール】2025年2月10日:大使挨拶
令和7年2月10日
コートジボワール駐在の日本大使として、本年1月23日に着任しました胡摩窪淳志です。当国での勤務は二度目となります。思い起こせば2014年8月、2年の勤務を終えて次はいつ訪れることができるだろうとちょっぴり感傷に浸りながら旅立ったアビジャン国際空港に、約11年ぶりに再び降り立ちました。
空港から大使公邸までの道すがら、建設中の高架橋に新たに増えた高層ビルが視界に入り、ラギューンにかけられた新たな橋(アンリ・コナン・ベディエ橋)を通り、この10年で大きく変貌したアビジャンの街並みに思わず目を見張りました。
私が前回赴任した2012年当時は、長い内戦がようやく収まりかけ、しかし完全に安定したとは言えない中、最初の仕事は、政府と国際機関が共催する国民和解と武器回収プログラム立ち上げのためのワーキンググループ会合への出席でした。
その頃は、国際テロ組織アルカイダがサヘル周辺にもその存在を拡大しつつあったころで、ブルキナファソとともに、当館が同じく兼轄するニジェールがサブサハラ地域へのテロの脅威を食い止める砦とも言われており、コートジボワール自身は安定化にはまだまだの国内情勢だったと記憶しています。
あれから状況は本当に大きく変わったのですね。今やコートジボワールは政治的な安定化に成功し、年間経済成長率3.8%を誇るサブサハラアフリカでも2012年以降年6~8%の成長を達成し、1,2を争う経済発展を遂げている国です。西アフリカ地域の核となる素晴らしい国として見事な復活を遂げました。
しかし私の目には、変わらないこともたくさん映りました。
赴任した日、早速プラトー地区にある日本大使館事務所に行くと、場所こそ引っ越しをして当時の建物とは変わっていましたが、中では当時の現地職員の大多数が昔と変わらずに働いていて、私の到着を歓迎してくれました。この10年で退職した人、あるいは残念ながら亡くなった人もいましたが、8割方の職員は変わらぬ笑顔でいてくれて本当に懐かしく、嬉しく感じました。
プラトーの街並みも、道端の露店、渋滞、バナバナの物売りがいるなじみの風景は当時と変わらないまま、更に賑わいが増した感じで、文字通り、ただいま!と声を出したくなる衝動に駆られました。
日本とコートジボワールの関係は、もちろん昔も今も変わりません。いやその結びつきは年々更に強化されていると言えるでしょう。長年我が国が行ってきた当国への政府開発援助(ODA)だけではありません。日本企業や地方自治体、大学、NGO等の市民社会の方々が長年培ってきた関係がこの国に深く根を下ろし、お互いに対する敬意、信頼、友情が我々の二国間関係の礎となっているのです。
当館はコートジボワールの他に、トーゴ、ニジェールも兼轄していますが、それぞれの国とも同様にきわめて強固で心温まる関係が続いています。おそらくそれは、西アフリカ、そしてアフリカ大陸全体に対して、我が国が長年、アフリカの困難な時も繁栄するときも、いつも変わらずアフリカの人々に寄り添ってきた結果だと感じています。
本年2025年は、そうした日本とアフリカ諸国の素晴らしい協力と協働を象徴する第9回アフリカ開発会議(TICAD9)が再び横浜で開催予定です。日本とコートジボワール、日本とアフリカの関係者が一堂に会し、アフリカの未来、今後の日アフリカ関係、さらにはグローバルな課題に対してともに連携して問題解決を図り、相互の利益と国際社会の安定と平和に寄与する成果を挙げる機会となるはずです。
アフリカの平和と安定、更なる繁栄は、日本にとってもきわめて重要な問題です。ともに手を取り合って課題を克服し、新しい未来に進んでいけるよう、日本は常にアフリカとともにいることを、日本国民自身、そしてアフリカの人たちにもっともっと知ってほしい。そして更なる関係強化を目指したい。これが日本大使としての私の目標であり、使命であると思っています。
当館には優秀なスタッフがそろい、皆その使命達成のために日々尽力してくれています。日本とコートジボワール、アフリカの皆様のご理解とご協力をいただきながら、我々は一緒に新しいステージに進んで行ければと思っています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
空港から大使公邸までの道すがら、建設中の高架橋に新たに増えた高層ビルが視界に入り、ラギューンにかけられた新たな橋(アンリ・コナン・ベディエ橋)を通り、この10年で大きく変貌したアビジャンの街並みに思わず目を見張りました。
私が前回赴任した2012年当時は、長い内戦がようやく収まりかけ、しかし完全に安定したとは言えない中、最初の仕事は、政府と国際機関が共催する国民和解と武器回収プログラム立ち上げのためのワーキンググループ会合への出席でした。
その頃は、国際テロ組織アルカイダがサヘル周辺にもその存在を拡大しつつあったころで、ブルキナファソとともに、当館が同じく兼轄するニジェールがサブサハラ地域へのテロの脅威を食い止める砦とも言われており、コートジボワール自身は安定化にはまだまだの国内情勢だったと記憶しています。
あれから状況は本当に大きく変わったのですね。今やコートジボワールは政治的な安定化に成功し、年間経済成長率3.8%を誇るサブサハラアフリカでも2012年以降年6~8%の成長を達成し、1,2を争う経済発展を遂げている国です。西アフリカ地域の核となる素晴らしい国として見事な復活を遂げました。
しかし私の目には、変わらないこともたくさん映りました。
赴任した日、早速プラトー地区にある日本大使館事務所に行くと、場所こそ引っ越しをして当時の建物とは変わっていましたが、中では当時の現地職員の大多数が昔と変わらずに働いていて、私の到着を歓迎してくれました。この10年で退職した人、あるいは残念ながら亡くなった人もいましたが、8割方の職員は変わらぬ笑顔でいてくれて本当に懐かしく、嬉しく感じました。
プラトーの街並みも、道端の露店、渋滞、バナバナの物売りがいるなじみの風景は当時と変わらないまま、更に賑わいが増した感じで、文字通り、ただいま!と声を出したくなる衝動に駆られました。
日本とコートジボワールの関係は、もちろん昔も今も変わりません。いやその結びつきは年々更に強化されていると言えるでしょう。長年我が国が行ってきた当国への政府開発援助(ODA)だけではありません。日本企業や地方自治体、大学、NGO等の市民社会の方々が長年培ってきた関係がこの国に深く根を下ろし、お互いに対する敬意、信頼、友情が我々の二国間関係の礎となっているのです。
当館はコートジボワールの他に、トーゴ、ニジェールも兼轄していますが、それぞれの国とも同様にきわめて強固で心温まる関係が続いています。おそらくそれは、西アフリカ、そしてアフリカ大陸全体に対して、我が国が長年、アフリカの困難な時も繁栄するときも、いつも変わらずアフリカの人々に寄り添ってきた結果だと感じています。
本年2025年は、そうした日本とアフリカ諸国の素晴らしい協力と協働を象徴する第9回アフリカ開発会議(TICAD9)が再び横浜で開催予定です。日本とコートジボワール、日本とアフリカの関係者が一堂に会し、アフリカの未来、今後の日アフリカ関係、さらにはグローバルな課題に対してともに連携して問題解決を図り、相互の利益と国際社会の安定と平和に寄与する成果を挙げる機会となるはずです。
アフリカの平和と安定、更なる繁栄は、日本にとってもきわめて重要な問題です。ともに手を取り合って課題を克服し、新しい未来に進んでいけるよう、日本は常にアフリカとともにいることを、日本国民自身、そしてアフリカの人たちにもっともっと知ってほしい。そして更なる関係強化を目指したい。これが日本大使としての私の目標であり、使命であると思っています。
当館には優秀なスタッフがそろい、皆その使命達成のために日々尽力してくれています。日本とコートジボワール、アフリカの皆様のご理解とご協力をいただきながら、我々は一緒に新しいステージに進んで行ければと思っています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。